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名古屋グランパスエイト

月曜日, 9月 27th, 2010

名古屋グランパスエイト
Jリーグ創設時から加盟した10チーム(オリジナル10)のひとつ。かつては、ゲーリー・リネカーやドラガン・ストイコビッチなどの世界的な選手が在籍した事もある。
トヨタ自動車をスポンサーとしたJリーグ屈指の強力な資金力を背景に、毎シーズン積極的な戦力補強を行っているが、結果には結びついていない。昨今では大物選手が移籍を匂わすと、必ずと言っていいほど名古屋の名前が挙がる。しかしなかなか優勝争いにも加われず、逆に残留争いとも縁がなく、所謂「万年中位」状態が続いている。他クラブのサポーターからは「名古屋はわざと中位を狙っている」「名古屋は中位になる力、即ち中位力を持っている」「グランパス8(エイト)位」「弱きを助け強きをくじくJリーグのバランサー」「世界中どのリーグで戦っても中位」などと揶揄をされることもある。
またはJリーグ開幕以来、カシマスタジアムでまだ1度も勝っておらず、引き分けすら1つもない。グランパスは1993年のJリーグ開幕戦、カシマスタジアムで鹿島アントラーズと対戦し、ジーコにハットトリックを決められ大敗して以来、天皇杯、ナビスコ杯含めて21連敗と不名誉な記録を作ってしまっている。

柏レイソル

月曜日, 9月 27th, 2010

柏レイソル
母体は日立製作所本社サッカー部。 ホームタウンは千葉県柏市。チーム名はスペイン語の「レイ(Rey)」(王)と「ソル(Sol)」(太陽)を合わせた造語で、太陽王を意味する。全般的にカップ戦を苦手としているチームと言える。
天皇杯は1999年シーズンのベスト4以来ずっとベスト16以下である。格下のクラブに敗戦し、初戦敗退することも多い。ナビスコ杯に関しても1999年の優勝以来ほぼほとんどベスト16以下である。中でも、2000年シーズンの両カップ戦の成績はリーグ戦と比べて極端だった。
ナビスコ杯に関しては前回チャンピオンでありながら、低迷していた川崎フロンターレに敗れた。天皇杯もリーグ戦終盤に勢いがありながらも、ベスト16に終わっただった。
2007年のナビスコ杯はルールの穴を掻い潜り、リーグ戦のスタメンを総入れ替えしたメンバーで戦い、物議をかもした。リーグ戦では、ホームの日立柏サッカー場で勝ち点を稼ぐ傾向にある。特に2006年のJ2リーグでは17勝3分け4敗とホーム線で好成績を上げている。これは、国内有数のピッチとスタンドが近い造りの柏サッカー場において有利に試合を進めていた事を表している。この傾向はJ1に昇格した2007年も同様であり、前半戦のホームゲームの成績は4勝2分け2敗だが、このうち柏サッカー場での成績は4勝1敗である。

日本のサッカーチーム

月曜日, 9月 27th, 2010

日本のサッカーチーム

J1
1. 鹿島アントラーズ
2. 浦和レッドダイヤモンズ
3. 大宮アルディージャ
4. ジェフユナイテッド市原
5. 柏レイソル
6. 川崎フロンターレ
7. FC東京
8. 横浜F・マリノス
9. 横浜FC
10. ヴァンフォーレ甲府
11. アルビレックス新潟
12. 清水エスパルス
13. ジュビロ磐田
14. 名古屋グランパスエイト
15. ガンバ大阪
16. ヴィッセル神戸
17. サンフレッチェ広島
18. 大分トリニータ
J2
19. コンサドーレ札幌
20. ベガルタ仙台
21. モンテディオ山形
22. 水戸ホーリーホック
23. ザスパ草津
24. 東京ヴェルディ1969
25. 湘南ベルマーレ
26. 京都サンガF.C.
27. セレッソ大阪
28. 徳島ヴォルティス
29. 愛媛FC
30. アビスパ福岡
31. サガン鳥栖

徳島ヴォルティス

月曜日, 9月 27th, 2010

徳島ヴォルティス
ホームタウンは徳島市、鳴門市、美馬市、松茂町、板野町、北島町、藍住町を中心とした徳島県全県。
前身は1955年に結成された大塚製薬サッカー部である。Jリーグが開幕して爆発的な人気を博すると、大塚製薬サッカー部をプロ化して徳島県に四国から初めてのJリーグチームを誘致しようという動きが活発になり、徳島県サッカー協会が主体となって約24万人の署名が集まった。しかし、1994年の準会員申請は大塚製薬の大塚正士元会長の反対で断念し、プロ化しないままチーム運営を続け、2004年9月8日に徳島県、ホームタウンの各自治体(市町)、並びに大塚製薬、徳島新聞販売所(徳島新聞本体は社団法人のため販売店を運営する子会社が出資)、四国放送、ケーブルテレビ徳島、阿波銀行、徳島銀行、JR四国、日本航空ジャパン、トヨタカローラ徳島など県内外の企業・団体などが出資して「徳島ヴォルティス株式会社」を設立しJ2への登録にこぎつけた。
徳島ヴォルティスのサポーターは得点を取ると阿波踊りを踊る事で有名。これは大塚FC時代からの伝統で、ヴォルティスのJリーグ加盟が決まったときもクラブ事務所で阿波踊りを踊ったほど。また応援に用いる鳴り物としては太鼓が一般的であるが、徳島では阿波踊りに用いる鉦(かね、鉦鼓とも呼ぶ)も併用される。この応援スタイルはプロ野球四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスでも取り入れられている。

東京ヴェルディ1969

月曜日, 9月 27th, 2010

東京ヴェルディ1969
Jリーグ創設時からの加盟チームのひとつ。旧呼称はヴェルディ川崎。呼称のヴェルディはポルトガル語の「verde(ヴェルデ):緑」からの造語。現在のホームタウンは東京都。それ以前は神奈川県川崎市であった。
クラブチームとしての長い伝統をもち、、選手が変わり監督が替わってもそのサッカースタイルが大きく変貌することは少ない。
Jリーグの中でも最も個性が際立ったクラブの一つ。華麗なプレー、観客に魅せるプレーをする一方で、勝利の為にはラフプレーも厭わない、闘志あふれるプレーを見せるチームである。
Jリーグ発足当初は人気・実力を兼ね揃えた最強チームとして君臨し、ラモス瑠偉、三浦知良、ビスマルク、北澤豪、武田修宏などを擁して1993年シーズンの初代Jリーグ年間チャンピオンとなった。1994年も年間チャンピオンになり、1996年には天皇杯優勝を果たしたが、その後はチーム力が低下し、観客動員数も減少した。
Jリーグ設立当初からJ1にいたが、2006年度初めてJ2に降格となった。
J2では攻撃性が仇になることが多く、守備を固められてカウンターで失点というパターンがよく見られる。
男子トップチームの下部組織として小学生段階からスクールを全国各地に展開し、ユース年代で継続して良い成績を残し続けている。ユースからトップへの昇格も多いことからヴェルディの下部組織には定評がある。

大分トリニータ

月曜日, 9月 27th, 2010

大分トリニータ
1999年、J2が創設された際にJリーグ加盟。
チーム名・呼称は、三位一体を表す英語「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語。
入場料収入に直結してくる観客動員数は平均で2万人、J1で5番目となっている。
2005年になって、ユニフォーム胸スポンサーのトライバルキックス(小室哲哉が代表を務めるレコードレーベル、企画会社)のスポンサー料未払い問題が発覚、クラブの債務超過が問題となりチーム存続の危機に立たされていたが、大分県スポーツ文化振興財団が資本を融資、さらに6月にユニフォーム胸スポンサーとなったマルハンが2006年から6年間の年間シートを購入したことにより、当面の危機は回避された。
資金力に乏しい地方クラブという事情もあり、大物選手(特に日本人)の獲得は難しい状況にある。毎年のようにオフには主力選手の流出が話題に上り、若手の育成やレンタルでの補強がチーム強化の生命線となっている。

大宮アルディージャ

月曜日, 9月 27th, 2010

大宮アルディージャ
母体はNTT関東サッカー部。ホームタウンは埼玉県さいたま市(さいたま市の合併前は大宮市)。ホームスタジアムはさいたま市大宮公園サッカー場。チーム名の「アルディージャ(Ardija)」は、スペイン語の「リス (Ardilla)」を日本語話者が発音しやすいように変更したもの。チーム発足当初から埼玉県内を活動拠点としており、Jリーグ発足時に埼玉県に進出した浦和レッズよりも埼玉県での活動の歴史は長いが、現状ではJリーグトップクラスの成績・観客動員力を誇る浦和に知名度・観客動員力で及ばず、大宮主催の「さいたまダービー」でも浦和サポーターに観客席の大半を埋められてしまっているが、チームの強化と共にさいたま市外の県内各地にもファンを増やすことが課題。浦和レッドダイヤモンズとの対戦は、サッカーの街さいたまを二分する熱いダービーである。さいたま市誕生後、2005年よりJ1にて行われている。同一市内に2つのJチームという事よりも、さいたま市に合併する前の浦和市と大宮市と隣り合った両市の関係とプライドが現在も引きずっている所があり、両チームのライバル心は強い。しかしサポーター数、成績、知名度ともに浦和に圧倒的に押されがちである。

川崎フロンターレ

月曜日, 9月 27th, 2010

川崎フロンターレ
1955年に富士通サッカー部として設立。1997年にJリーグへ準会員加盟し、1999年に同正式加盟。ホームスタジアムは中原区の等々力陸上競技場。練習は同市内麻生区の川崎フロンターレ麻生グラウンドを使用する。チーム名の「フロンターレ (Frontale)」はイタリア語で「正面の、前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツ、正面から正々堂々と戦う姿勢を表現したもの。
富士通川崎サッカー部は1996年にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことを大テーマに掲げ、フロンターレでは地域密着活動への参加については選手との契約条件に盛り込まれていると言われている。
選手には「プロだから」という特別な意識・扱いをせず、地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度「あんたが大賞」、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、クリスマスシーズンに行われる入院児への訪問活動「青いサンタクロース」は毎年恒例の奉仕活動として定着しており、地域密着型の社会的な評価も高いチームである。

清水エスパルス

月曜日, 9月 27th, 2010

清水エスパルス
1991年Jリーグ加盟。Jリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつ。
ホームタウンは静岡県静岡市。ホームスタジアムは静岡市清水日本平運動公園球技場。
母体チームを持たず、静岡県出身者を中心にスカウトしてチームを編成した。
チームは伝統的に延長戦に入ってからの勝ちが多いため、トーナメントでは好成績を収めながらも、リーグでは延長勝ちの勝ち点が2点に減点されたこと、さらに延長戦が廃止されてしまい成績が下降した。
2005年以降、外部からの補強選手を多く取り入れることで成績を上げることに成功する。2006年にはトリプル5(5位以内・勝ち点50以上・50得点以上)を目指し、前年から続く若手選手が台頭もあり、見事達成する。通算の対戦成績で鹿島アントラーズに勝ち越している数少ないチーム。

水戸ホーリーホック

月曜日, 9月 27th, 2010

水戸ホーリーホック
前身は土浦市で精肉業・プリマハム土浦工場の実業団チーム「プリマアセノFC」と戸市で1994年結成された「フットボールクラブ(FC)水戸」が合併したチーム。ホームタウンは茨城県水戸市。チーム名の「ホーリーホック(Hollyhock)」は英語で「葵」を意味し、水戸藩(徳川御三家のひとつ)の家紋の葵から取られた。ホームゲームでの観客動員は少なく、2000年と2004年を除いて観客動員数はJ2最下位、2000年と2004年も下から2番目と、毎年最下位かブービーのどちらか。
使用する笠松運動公園陸上競技場の自家用車以外でのアクセスがあまり良くないこともさることながら、同じ茨城県にJ1の人気クラブで常に優勝争いを繰り広げる鹿島アントラーズがあることが原因と思われる。
モンテディオ山形とはサポーター同士の親密な交流があり、対戦相手が山形のときは試合前に両チームの間でコール合戦が行われる。

湘南ベルマーレ

月曜日, 9月 27th, 2010

湘南ベルマーレ
1994年にJリーグ加盟。ホームタウンは、神奈川県平塚市、伊勢原市、小田原市、茅ヶ崎市、秦野市、厚木市、藤沢市、高座郡寒川町、中郡大磯町、二宮町の7市3町。チーム名はラテン語のベルム(Bellum、美しい)とマーレ(Mare、海)の2つの単語を合わせた造語。前身は藤和不動産サッカー部→フジタSC。
日本を代表するサッカー選手として知られた中田英寿(1995~1998年途中まで在籍。2006年現役引退)は、このクラブでプロ生活をスタートさせ、彼の希望であった海外留学を許可し、1998年ワールドカップ終了時に快く彼を送り出したクラブの姿勢に彼は心から感激し、プロをスタートしたクラブとは言えわずか約3年半所属したのみの元所属チームへ支援を惜しまないなど、今でも良好な関係を保つ。
ユニフォームカラーが世界的にも珍しいライトグリーン。この珍しさからサポーターのみならず、他のJリーグサポーター、また中田英寿の母国在籍唯一のクラブと言う事で海外からも人気・知名度があり、nakata.netのマークの入った2000年、2001年モデルは2007年現在でも海外のウェブショップなどで見かける事があるほどの人気。
湘南ベルマーレでは2002年からJリーグ百年構想に則り、地域密着型の総合スポーツクラブ文化の確立を目指してNPO法人の「湘南ベルマーレスポーツクラブ」を編成している。サッカー(ジュニアユース、ジュニア)を株式会社側からNPO法人側に移譲して活動している他、ビーチバレー、トライアスロンのチームを編成。日本を代表するその競技のスペシャリストが選手として登録している。

鹿島アントラーズ

月曜日, 9月 27th, 2010

鹿島アントラーズ
ホームスタジアムはカシマサッカースタジアムで、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンドを使用している。主要タイトル(Jリーグ年間、天皇杯、リーグカップ)において、Jリーグ最多の9冠を誇る名門サッカークラブ(上記以外のスーパーカップ、A3チャンピオンズカップを含めると13冠)。2000年のシーズンは国内3大タイトルのJリーグ、ナビスコカップ、天皇杯を全て制し、史上初の3冠を達成した。チーム名の「アントラー (antler)」は英語で鹿の枝角を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。チームは、一年ごとのスローガンとは別に「FOOTBALL DREAM」を常に掲げ、地域と共に頂点を目指す強豪チーム。かつてあのジーコが所属していたことがあり、ブラジルのサッカー界とも強い繋がりがある。Jリーグが開幕した1993年以降、所属した外国籍選手は全員がブラジル人選手である。その中にはジョルジーニョやレオナルド・ベベットなど、サッカー王国ブラジルでも一線級に値する選手たちが鹿島でプレーしていた事もある。

京都サンガF

月曜日, 9月 27th, 2010

京都サンガF.C.
1994年度のJリーグ準会員申請、同年7月承認。1995年シーズン、ジャパンフットボールリーグで2位となり、1996年シーズンからのJリーグ昇格。
チーム名のサンガとはサンスクリット語で「仲間・群れ」を表す(samgha)。前身である京都紫光クラブのパープルとサンガを組み合わせて京都パープルサンガというチーム名としていたが、2007年より京都サンガF.C.となった。
チームはJ1復帰とJ2降格を繰り返している。初めてのJ2となった2001年、3月10日の開幕から11月18日の最終戦まで選手の途中入団・退団が一切なかった。
課題は、J1への復帰と活躍は勿論の事、クラブとしてだけでなく、地元・京都との関係の再構築がある。 行政・民間とクラブとの間に距離があり、地元でのユニフォーム発表などもいまひとつ注目度が低い。リーグクラブの収支において、広告費依存が非常に大きいことが明らかになり、現状ではスポンサー各社に支えられて高給選手を維持できている状態であり、観客増も課題となっている。

横浜FC

月曜日, 9月 27th, 2010

横浜FC
チーム名に愛称は設けず単に横浜FCとしている。
出資会社の撤退に伴い横浜フリューゲルスが消滅(形式上は横浜マリノスに吸収合併)することになり、これに反対するサポーターに選手も加わってクラブ存続を求める署名と募金を実施。しかし合併取り消しは実現せず、天皇杯での優勝を最後にフリューゲルスは消滅することとなる。合併の手続き終了後、サポーターは「フリューゲルス」という名称の譲渡を申し入れたが、この名称を使用するチームが必要との回答もあったため、出資企業の経営に左右されない市民クラブの設立と翌年1999年からのJリーグ2部(J2)への参加実現にむけ動き出したことがチーム発足のきっかけ。
フリューゲルスを継承するチームとはいえども、サポーターが立ち上げただけのフリューゲルスとは全く違う新設チームであるため、実績のないクラブのJ2参加は困難としてこれは認められなかったが、特別措置としてJ2の下部に位置する日本フットボールリーグへの「準会員」資格での参加が認められ、そこからJ1へと昇格していった。

横浜F・マリノス

月曜日, 9月 27th, 2010

横浜F・マリノス
Jリーグ創設時からの加盟チームのひとつ。チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語で船乗りを意味する。「F」はフリューゲルス (Flügels) の頭文字。神奈川県内の4チームで唯一J2を経験していないチームでもある。
1999年に横浜マリノスが横浜フリューゲルスを吸収合併し、現在の名称となった。
なお、フリューゲルスはマリノスのチーム史では傍系(別チーム)として扱われるので、フリューゲルスの優勝回数や個人賞などの記録は現在のFマリノスに通算されない。
1992年には天皇杯を制覇し、前身の日産自動車時代と合わせて連覇を達成しているが、その後は同大会での成績は振るわず、アップセットを演じられることもある。近年では、リーグ戦完全優勝を果たした2003年の市立船橋高校戦でPK戦まで縺れ込んだこと(PK戦で勝利)、また、翌2004年にチャンピオンシップを制した後、当時JFL(ただし、翌年のJ2参入は内定していた)のザスパ草津戦でVゴール負けを喫したことなどが記憶に新しい。

浦和レッドダイヤモンズ

月曜日, 9月 27th, 2010

浦和レッドダイヤモンズ
ホームタウンは埼玉県さいたま市(合併前は浦和市)。呼称は「浦和レッズ」。1991年のJリーグ創設時より加盟しているチームのひとつ。中日本重工業サッカー部(後の三菱重工業サッカー部)として1950年に創立された。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の発足にともない1992年以来、埼玉県さいたま市(当時浦和市)を本拠地とし、株式会社三菱自動車フットボールクラブが運営を行なっている。営業収入(2005年度58億400万円)はJリーグ全31クラブの中で最も多く、入場料収入が最も大きな割合を占め、その額(同年度19億4900万円)は他クラブの追随を許さない。その背景にはJリーグで常に1、2を争う観客の多さ(2006年度は774,749人、史上最高動員記録)が挙げられる。過去8シーズン(1996年~1999年、2001年~2003年、2006年)でJリーグの年間最多観客数を記録している。熱狂的なサポーターはホームゲームのみならず、アウェイゲーム(首都圏は勿論、広島・福岡・大分など遠隔地も)にも大挙して押しかけることで知られる。大半のクラブにとっては浦和戦は文字通りのドル箱カードであり、そのため浦和戦の時のみ、席割変更してアウェイ席の割合を増やしたり、普段は一部閉鎖しているスタンドを全面開放したり、キャパシティの大きなスタジアムで開催したりするクラブが多いことでも知られている。

愛媛FC

月曜日, 9月 27th, 2010

愛媛FC
ホームタウンは愛媛県松山市を中心とした全県。マスコットは、愛媛県出身でサッカー漫画『ORANGE』の作者・能田達規がデザインしたオ~レくん。1995~2000年までは四国リーグ、2001~2005年はJFLに参加し、2006年のシーズンよりJ2に昇格となった。
2006年はブラジルの武者修行から帰ってきた元柏レイソルの菅沼実や、元サンフレッチェ広島の田中俊也、高萩洋次郎、森脇良太、田村祐基などといった若手組が大活躍し、J初年度にも関わらず9位でシーズンを終える快挙を遂げる。
チームは昇格して間もないため、選手の補強はレンタル移籍が中心。シーズン中盤から主力として戦った菅沼・高萩など、多くの選手がシーズン終了後にレンタル元へ帰っていった。少しずつ完全移籍で獲得する選手は増えているものの、しばらくは選手の入れ替わりが多くなると見られている。浦和レッズやジュビロ磐田、サンフレッチェ広島などJ1に所属するチームから若手選手が完全移籍・期限付き移籍するケースが多い傾向にある。また、ガンバ大阪、サガン鳥栖、大分トリニータなどからの期限付きで獲得するケースや、地元愛媛出身選手の移籍も多い。
ユニフォームサプライヤーのディアドラはJFL時代から愛媛FCのサプライヤーを務め、現在のJリーグでは愛媛FCが唯一の同社ユニフォーム使用チーム。ディアドラ製品の日本国内総代理店であるディアドラ・ジャパンの社長が愛媛県新居浜市出身で、他のメーカーのような既存Jリーグチームへの契約競争には参加せず、自分の故郷の愛媛FCと一緒にJリーグへ行くと明言したためであると言われる。

モンテディオ山形

月曜日, 9月 27th, 2010

モンテディオ山形
1999年Jリーグ加盟。ホームタウンは山形県山形市、天童市、鶴岡市を中心とする全県。チーム名はイタリア語の「モンテ (Monte)」(山)と「ディオ (Dio)」(神)を合わせた造語で「神の山」の意味。マスコットはカモシカをモチーフとし、角を3本持ちスピードや力強さ、賢さを表現しているディーオ、岩石をモチーフとし頭部の3つの突起が出羽三山を表現したモンテスのとなっている。
チームは毎年昇格争いに加わりながら、終盤で失速し、自動昇格及び入れ替え戦進出を逃し続けている。2007年にはにJ2初年度参加10チームのうち、J1未経験は山形とサガン鳥栖の2チームのみとなってしまった。
経営状態に関して、前経営陣による「昇格争いをすれば観客動員が増え収入増になるはず」という強気な経営計画が災いし、2006年度は約1億3000万程度の赤字を抱えてしまった。 その赤字の穴埋めのため、J1昇格準備金を大幅に取り崩すという事態になり、Jリーグ31クラブの中で最下位クラスの入場料収入、断突最下位のスポンサー収入、地方自治体財政難に伴う補助金減額など、慢性的な財政難となっている。

ベガルタ仙台

月曜日, 9月 27th, 2010

ベガルタ仙台
ホームタウンは宮城県仙台市。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台。チーム名の「ベガルタ」は仙台七夕にちなみ七夕の「織り姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ(Vega)」と「アルタイル(Altair)」を合わせた造語。1999年にブランメル仙台から、現在の名称へ変更されている。
熱狂的なサポーターが多いことで知られ、観戦環境がいいユアテックスタジアム仙台を擁し、地元メディアの露出度や観客動員力など地域密着度の高さはJリーグトップクラスである。 それを物語る最近の例として、「週刊TVガイド」の宮城版にて、観戦ガイドが綴じ込み付録としてつけられたことがある。
2002年、2003年のシーズンをはJ1に昇格したが、その後はJ2にとどまっている。運営規模もJ2降格後は年々縮小規模にあり、J1昇格しない限り経営は厳しい状態が続く。
前身となった東北電力サッカー部と、クラブチーム・ブランメル仙台に移行した初期のアマチュア選手が中心となって「電力ノスタルジア」という同好会チームを結成している。

セレッソ大阪

月曜日, 9月 27th, 2010

セレッソ大阪
ホームタウンは大阪府大阪市。チーム名の「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で桜の意味。マスコットは狼で愛称はロビー。ロビーの本名はノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ。高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家の”オオカミの息子”という意味である。
前身はヤンマーディーゼルサッカー部。1957年に創部し、JSLの創設とともに関西代表として参加した名門。JSL時代には、釜本邦茂やネルソン吉村らを擁したチームはリーグ4回、JSLカップ2回、天皇杯3回を獲得する強豪チームであった。
Jリーグ加入当時から、Jリーグ屈指の攻撃力、得点力を誇った。しかしその分守備力に難があり、大量得点・大量失点の試合が多かったが、2005年からは守備を強化し、1点を守りきる堅守速攻の戦術に変化した。
チームは浮き沈みが激しく、J1で優勝争いをした翌年の2001年、2006年の翌年には必ず低迷してJ2降格を喫する。幾度も優勝には手を伸ばしてはいるが優勝は逃している。獲得したタイトルは1994年JFL優勝のみで、公式のタイトルを獲得した経験はない。

ジュビロ磐田

月曜日, 9月 27th, 2010

ジュビロ磐田
1994年Jリーグ加盟。会社はヤマハ発動機など地元磐田市周辺企業が出資して設立された。正式な会社名は株式会社ヤマハフットボールクラブ。チーム名の「ジュビロ」はポルトガル語(Júbilo)・スペイン語(Júbilo)・イタリア語(Giubilo)で歓喜の意味。
「サッカー王国」といわれる静岡県の中でも傍流である西部の一地方都市に拠点があること、また親会社であるヤマハ発動機が健全財政を方針としていることもあり、資金面では必ずしも恵まれておらず、補強を怠った事もあり2003年以降はタイトルから離れている。
最近はメンバーの若返りを見据えた方針から、ジュビロの黄金期を築き上げた選手達(ベテラン)の流出が目に付く。 例として藤田俊哉(現:名古屋グランパスエイト)、名波浩(現:東京ヴェルディ1969)、服部年宏(現:東京ヴェルディ1969)、福西崇史(現:FC東京)等が挙げられる。 しかし、その一方で若返り策は一定の効果を示しており、特に、カレン・ロバート、前田遼一、太田吉彰、上田康太等の選手は徐々にレギュラーに定着しつつある。

ジェフユナイテッド市原

月曜日, 9月 27th, 2010

ジェフユナイテッド市原
1993年の開幕時からJリーグに参加しているチーム。ホームタウンは千葉県市原市。ホームスタジアムは千葉市蘇我球技場と市原臨海競技場である。練習場は2000年から市原市の姉崎公園サッカー場を使用している。クラブの運営会社は東日本ジェイアール古河サッカークラブ。 マスコットは秋田犬の兄弟。背番号2を付けているのがジェフィ(兄)、背番号9を付けているのがユニティ(弟)である。
前身は1946年に設立された古河電気工業サッカー部。1965年の日本サッカーリーグにスタート時から参加している。日本リーグ、Jリーグを通じて一度も下部リーグに降格したことのない高い実力を持つクラブチームである。
2005年には念願のナビスコ杯で優勝し、Jリーグ創設からチーム初のタイトルを手中にしている。
2006年には巻誠一郎が日本代表選手として、ドイツW杯出場を果たしたが、、ドイツW杯終了後にオシム監督が日本代表監督に引き抜かれるという事態に陥る。 無条件で監督を引き渡したクラブには批判も多く届いた。 後任にはオシム監督の息子であるアマル・オシムが就任し、見事ナビスコ杯を連覇する。

サンフレッチェ広島

月曜日, 9月 27th, 2010

サンフレッチェ広島
1991年Jリーグ加盟(オリジナル10の一つ)。ホームタウンは広島県広島市。前身は東洋工業サッカー部。
チーム名は、「サン」は日本語の「三」、「フレッチェ(複:frecce)」はイタリア語で矢を意味し、戦国大名、毛利元就の「三本の矢」の故事にちなんでいる。
鹿島アントラーズのように創設以来ブラジル人しか獲得しないクラブもある中で、広島は非常に多くの国から幅広く外国籍選手を獲得している。Jリーグ創設の1993年、他クラブがブラジル人や欧州のビッグネームを中心に補強する中、広島はスウェーデン、チェコスロバキア(チェコ)、アメリカ合衆国、韓国といった国から選手を集め、良い結果を上げていた。近年はJリーグ全体の流れと同様にブラジル人中心の路線を敷いているが、それでも2007年現在、所属する5人の外国人の国籍はブラジル、クロアチア、韓国、北朝鮮、ブルガリアと全員がバラバラとなっている。
2007年までに、広島が選手や監督・コーチなどスタッフを獲得した国は、イングランド、スコットランド、オランダ、ポルトガル、ノルウェー、スウェーデン、ロシア、チェコ、オーストリア、ブルガリア、クロアチア、ウクライナ、ウズベキスタン、カメルーン、ブラジル、チリ、アメリカ、オーストラリア、韓国、北朝鮮の20カ国。ヨーロッパ・アフリカ・北中米・南米・オセアニア・アジアの全地域から選手を獲得している珍しいチームである。

ザスパ草津

月曜日, 9月 27th, 2010

ザスパ草津
2005年度から日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟。チーム名は”これぞ温泉”を意味する「ザ・スパー(The spa)」から。ホームタウンは温泉地として知られる群馬県吾妻郡草津町。
2003年に日本サッカー協会が将来のJリーグ参戦を目指すチームのための優遇処置として設けた「飛び級制度」を適用して、関東リーグ2部から地域リーグ決勝大会に出場し見事優勝し、JFLに昇格。2004年度はJ2昇格の要件である2位を逃すものの特例でJ2参戦が決定された。
サポーターは応援に湯揉みを採用している。湯揉みをする女性はゴール裏に伝統的な湯揉みのかすりの着物と姉さんかぶりをまとって登場する。彼女達は草津温泉で実際に湯揉みをしている女性とは異なり、現在では一般から募集した女性で構成されている。ちなみに浴衣を着て応援しようという試みは現実に行われており、草津温泉の旅館などから借り廻って調達したが、現在では行っていないようである。
クラブ設立から3年間でJリーグ加盟までこぎ着けたそのスピード、温泉地での町おこしというコンセプト、労働力と運営資金というバーター取引を築いた地域企業との関係、マスコミでの露出を高めて群馬県外の企業を多くスポンサーに付けた宣伝力など、日本のスポーツクラブとしては特徴的な運営スタイルを持ち高い注目を浴びているが、その一方、急速な成長に対しユースチームなどの下部組織の充実が追いつかず、草津町内でのJリーグ規格スタジアム建設が未決定など、1部昇格を目指すための資金力強化以外にも数々の問題点も抱えている。

サガン鳥栖

月曜日, 9月 27th, 2010

サガン鳥栖
1999年Jリーグ加盟。ホームタウンは佐賀県鳥栖市。ホームスタジアムは鳥栖スタジアム。チーム名の「サガン」は、小さい砂粒が固まって砂岩になるように力を結集することを表すと同時に、「佐賀の」にも通じる。
ホームタウンは鳥栖市としているが、佐賀県の各市町村での活動にも積極的であるため、佐賀県全体がホームタウンとも言える。また鳥栖市に隣接する福岡県久留米市の会社がスポンサーに名を連ねるなど、福岡県筑後地方のサポーターも増えている。
鳥栖に加入する選手は長らく「他のチームから採ってもらえなかった選手」が多い傾向が強かったが、近年は新居辰基や高橋義希等の若手の成長で育成面での評価も高まっており、若手選手の住環境も良くなっていることで、若手有力選手も集まるようになってきた
鳥栖の財政力では強力な助っ人を獲得するのは難しいため、高卒や大卒などの若手選手の育成に力を入れている。指導スタッフを充実させ、日本一練習していると言われる。
JR九州のみどりの窓口では、鳥栖駅を経由するJR券を提示することでレギュラー席に限り割引となる入場チケットを購入できる。また、みどりの窓口で購入しなくても、鳥栖駅からのJR券をスタジアムの当日券売り場で提示すると、レギュラー席に限り当日券が割り引かれる。

コンサドーレ札幌

月曜日, 9月 27th, 2010

コンサドーレ札幌
1998年Jリーグ加盟。前身は東芝サッカー部。ホームタウンは北海道札幌市。ホームスタジアムは札幌ドーム。チーム名は公募で決定したもので、「どさんこ」の逆さ読みに、ラテン風の「オーレ」(-ole)を組み合わせた造語。下部組織の充実に力を入れているのがコンサドーレの特徴のひとつ。財政の緊縮化を図った2004年度でも、下部組織の予算は前年比で据え置かれている。
U-18は2001年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会及び2005年の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-18)大会、U-15は2002年と2003年の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-15)大会でそれぞれ準優勝するなど、成果をあげている。
チームは1998年にJ1に昇格するが、1年で降格する。その後2001年に再びJ1昇格も2年でまたも降格するなど、J1とJ2の間を行き来している。

ガンバ大阪

月曜日, 9月 27th, 2010

ガンバ大阪
1991年のJリーグ創設時より加盟しているオリジナル10のひとつ。ホームスタジアムは万博記念競技場。クラブ名の「ガンバ(GAMBA)」はイタリア語でサッカーの原点である脚を意味する他、日本語の「頑張る」とも掛けている。Jリーグの中では自前の下部組織からの選手育成で成功しているクラブの一つで、万博のユース、ジュニアユース、ジュニアの他に、門真・堺の両市にスクールを設置している。Jリーグ初期では名選手釜本邦茂を監督に据え、礒貝洋光・本並健治といった人気プレイヤーも抱えていたが、最下位争いの常連で成績は芳しくなかった。当時、ガンバは名古屋グランパスエイト・浦和レッドダイヤモンズとともにリーグのお荷物扱いであり、ハンス・オフトが日本代表監督を務めていた際には、Jリーグで唯一代表選手を輩出していなかったチーム。
1997年にはカメルーン代表のエムボマの力で、勝ち越しの成績を収めるがエムボマがチームを離脱すると再び成績が下降した。
2000年代に入ると宮本恒靖、稲本潤一、大黒将志などのユース上がりの選手がチームの中心となり、優勝争いをするまでになり、2005年には悲願の初優勝を遂げる。

ヴィッセル神戸

月曜日, 9月 27th, 2010

ヴィッセル神戸
1997年Jリーグ加盟。母体は1966年創部、岡山県倉敷市にあった川崎製鉄水島サッカー部。ホームタウンは兵庫県神戸市。
チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語。オーナーは三木谷浩史だが、楽天グループではなく三木谷が個人で神戸に貢献したいとして、楽天はあくまでもユニフォームスポンサーにとどまっている。
かつては母体企業を持たない神戸の年間予算は他クラブと比較しても少なく、年間入場者数も伸び悩み、運営会社は一度経営破綻し、民事再生法の手続き申請を行った。
その後、本拠地は神戸、選手・職員の継承、チーム名は変更しない の3点を参加要件とする入札で、楽天市場を経営する三木谷浩の個人資産管理会社の株式会社クリムゾングループが営業権を約480万円で落札し、新運営会社を設立しクラブ運営を行っている。
しかし、2004年2005年は新経営陣のサッカークラブ経営への理解不足、チーム統括部長三浦泰年の経験不足、フロントの長期的ビジョンの欠如などからチーム成績は低迷する。2006年は若手選手育成に成功し、1年でJ1復帰を果たしている。

ヴァンフォーレ甲府

月曜日, 9月 27th, 2010

ヴァンフォーレ甲府
1999年Jリーグ加盟。大企業に頼らず地元山梨の会社など200社の小口スポンサーの支援を受けてチームを運営している地元密着型のチーム。2002年と2003年にはプリンセス・テンコーがユニフォームスポンサーを行なっていたこともある。甲府の応援スタイルは他のチームにはない独特の応援といわれている。例えばボールを奪うごとにメインスタンドとバックスタンドから一斉に歓声が上がったり、逆に奪われると悲鳴があがる。他のチームではわざわざ一シーンごとに歓声や悲鳴があがることはあまりないため、サッカー関係者から「観客席が選手のプレーと一体になって応援しているため選手もノリやすい」といった評価を得ている。その一方で急激にサポーターが増えたため新規サポーターのマナーが問題となっている。かつてはメガホンを叩いて応援する姿にサポーター団体が難色を示し、トラブルになったことがある。また最近は野次を飛ばしてプレーしている選手や周辺のサポーターを不快にさせることが多い。

アルビレックス新潟

月曜日, 9月 27th, 2010

アルビレックス新潟
前身は新潟市のクラブチーム「新潟イレブンSC」で、1955年の結成。1999年Jリーグ加盟。ホームタウンはホームスタジアムのある新潟県新潟市と、クラブハウスのある北蒲原郡聖籠町の2市町となっている。チーム名は「アルビレオ(Albireo)」(はくちょう座にある二重星の名前)と「レックス(Rex)」(ラテン語で「王」の意味)を合わせた造語。
他のチームのJ1昇格やJ2降格により、東軍か西軍か変わりやすい地域のためJリーグJOMOオールスターサッカーでは2004年は東軍のチームになったが、2005年は西軍のチームになった。2006年ごろからサポーターの素行が問題となっている。ホーム千葉戦では選手に向かってペットボトル等を投げ込む、広島戦では2階席から傘が落ちてくる、横浜FC戦では椅子の破損が確認される、アウェーでも磐田戦でガスホーンを使用し警備員に注意されたにも関わらず使用し続けたなど数々の問題の報告が挙げられた。公式ページで注意を呼びかけているがマナーの改善は見られない。

アビスパ福岡

日曜日, 9月 26th, 2010

アビスパ福岡
1996年Jリーグ加盟。ホームタウンは福岡県福岡市。チーム名のアビスパは、スペイン語でスズメバチの意味。前身は中央防犯サッカー部。
1995年にはJFLで「京都パープルサンガ」.「鳥栖フューチャーズ」.「ヴィッセル神戸」らとJリーグ昇格を争い、圧倒的な攻撃力と堅実な守備を誇り24勝6敗という成績でJFL優勝、本拠地移転初年度で見事Jリーグ昇格を果たした。1996年からはJリーグにて参加するが、成績は低迷し、2002~2005年はJ2に降格し、2006年J1に戻るが2007年は再びJ2に降格となっている。
本拠を同じく福岡に持つ、福岡ソフトバンクホークスとの交流を活発的に行っているが、直接的な観客増まで至っていない。2006年には11月23日のVSガンバ大阪戦にてホークス選手会長の斉藤和巳がアビスパのユニフォームを着て当時の川勝良一監督を訪れるなどしているものの、一部の在福民放がアビスパの試合よりも斉藤が博多の森に来たことを中心にしてしまうなど、メディアのホークス偏重が強いことが大きいことが一つの原因であると考えられている。

FC東京

日曜日, 9月 26th, 2010

FC東京
前身は1935年創立の東京ガスフットボールクラブである。1999年Jリーグ加盟。ホームタウンは東京都。ホームスタジアムは2001年に竣工した調布市の東京スタジアムである。
チーム名には特に愛称を付けておらず(FCはフットボールクラブの略)、またクラブマスコットもいない。これは、Jリーグ参加クラブとしては初めての事例。熱狂的なサポーターが多く、浦和レッズ・アルビレックス新潟に次ぐ観客動員を誇る。東京ガス時代から一貫して東京で活動してきたことから、サポーターには「首都東京のチーム」という意識が強く、応援の際にも東京のチームであることを強調する。サポーターの間では東京ヴェルディ1969との対戦を「東京ダービー」と呼ばれており、ヴェルディが東京都にホームを移した2001年から始まった。初戦は東京スタジアムのこけら落としとなった。よくサポーター同士の小競り合いや試合が荒れることが多く、2005年には傷害事件にまで発展した。ちなみにサポーターの数はFC東京の方が圧倒的に多かった。2006、2007シーズンは東京ヴェルディ1969のJ2降格によりリーグ戦での対戦はないが、練習試合として2007年2月25日に行われた(スコアは1-1の引き分け)。